井岡一翔選手の簡単な経歴

押忍👊 現アマチュアボクシングで日の丸を目指している学生です。

 

今回は僕の憧れであり、ボクシングを始めたきっかけでもある、井岡一翔選手のご紹介をしていきたいと思います。

井岡選手のイメージは、落ち着き、余裕があり、男らしさがあり、まさしく「漢」という言葉がお似合いな方です。

ボクシングスタイルも、戦いの引き出しの多さ、巧みな技術、圧倒的なディフェンス力

そして、ここぞという勝負強さ。井岡選手は、そんな魅力の詰まった選手なのです。

今回は、井岡選手の簡単な経歴を。

次回では、僕なりの強さの分析をしみましたので、見てください!!!

 

 

・1ROUND(経歴)

井岡一翔 いおか かずと(1989年 3月24日)

 

マチュア時代

中学1年生の時、叔父(井岡弘樹)がグリーンツダジムでボクシングを始める。

中学3年生の時、叔父さんが設立した井岡ボクシングジムの移籍。

高校生では、あの名門校、興国高等学校の進学し2年時には、ライトフライ級でインターハイ、国体、選抜大会で優勝。3年時にも同じく3大会で優勝し、史上3人目の高6冠を達成しました。

高校卒業後、またもや名門校、東京農業大学に進学し、北京オリンピックを目指しましたが、1年時の全日本選手権の決勝で、1ポイント差で敗退してしまい、出場権を逃しました。大学で、国体は優勝しましたが、国際大会で準決勝敗退、2年時の全日本大会で決勝敗退と悔しい思いをし、北京オリンピックという目標が消えたことを理由にプロ転向を決め、大学を2年途中で中退しました。

 

プロ時代から現在

・2009年にB級テストに合格し、プロに転向しました。そこから、淡々と勝ち進み、日本タイトルを奪取。そして2011年に、世界戦に挑み、5RにTKO勝利をおさめ、当時国内最速記録となる、7戦目で世界王座を奪取しました。

・2012年6月20日、なんと僕の誕生日の日に行われた、日本人初の現役王座同士の団体統一戦で八重樫東選手との、熱い激闘を制しWBAWBCミニマム級統一チャンピオンんになりました。(年間最高試合にもなりました。)

更に、その年の大晦日WBAライトフライ級王座決定戦で6RにTKO勝利をおさめ、日本人選手最短の11戦目で2階級制覇を成し遂げました。その、ライトフライ級では、3度の防衛に成功しました。

・2014年にフライ級に転向し、IBFフライ級の王座をかけ、アムナット・ルエンロン選手と戦いましたが、1-2の判定でプロ初黒星を喫してしまいました。

 *このアムナット選手とは、アマチュア時代に対戦経験があり、国際大会でも敗れています。

また、アムナット選手がキックボクシングに転向した後、那須川天心選手と対戦をしております(那須川天心選手のTKO勝ち)

 

・プロ初黒星を喫してしまいましたが、復帰戦もしっかりと、勝ち進み、2015年には、WBA世界フライ級タイトルマッチで2-0の判定により、3階級制覇を成し遂げました。このフライ級では、5度の防衛に成功しました。

 

・そして、2019年にWBO世界スーパーフライ級王座決定戦を行い、10回にTKO勝ちをおさめ、日本人初の4階級制覇という偉業を達成しました。

そして、この階級でも5度の防衛に成功しました。

 

↓また、詳しい内容を知りたい方は、Wikipediaを見るといいかもしれません。

井岡一翔 - Wikipedia

 

現在の戦績

32戦29勝(15KO)2敗1引き分け

日本ライトフライ級王者。 元WBAWBC世界ミニマム級統一王者。元WBA世界ライトフライ級王者。元WBA世界フライ級王者。元WBO世界スーパーフライ級王者。日本人男子初の世界4階級制覇王者

 

 

井岡選手の経歴を簡単にまとめてみました。 アマチュア時代から今にかけて、沢山の実績を作りだしてきました。ボクシングに対する、覚悟、決意が感じられます。

 

次回の投稿では、井岡選手の強みを分析してみたので、見てください!!😊